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「"学び"とメディアの間を結ぶもの」]
2007.12.22
第5回公開研究会報告
「"学び"とメディアの間を結ぶもの」
■日 時:2007年12月22日(土)13時30分〜18時■場 所:キャンパスプラザ京都 第三講義室
■参加者:約70名
■テーマ:「"学び"とメディアの間を結ぶもの」
【オープニングトークセッション】
ご挨拶:境真理子(江戸川大学、メル・プラッツ運営メンバー)他
【第一部】「"学び"の本質を考える----情報・対話・メディア」
プレゼンテータ(1):黒上晴夫(関西大学)
プレゼンテータ(2):本間直樹(大阪大学)
コーディネータ :上田信行(同志社女子大学)
【第二部】「番組制作から何を"学ぶ"のか」
プレゼンテータ(1):鮫島京一(奈良女子大学附属中等教育学校)
プレゼンテータ(2):崔銀姫(佛教大学、メル・プラッツ運営メンバー)
コーディネータ :水島久光(東海大学、メル・プラッツ2007年度オーガナイザー)
総合司会:村田麻里子(京都精華大学、メル・プラッツ運営メンバー)
※敬称略
■概 要:
第5回のメル・プラッツ公開研究会は、初めての京都での開催でした。あいにく12月の雨が降っていたにもかかわらず、会場には70名ほどがお集まりくださいました。最初はオープニング・トークセッション。境真理子さん(江戸川大学、メル・プラッツ運営メンバー)から、メル・プラッツの趣旨説明とともに、関西圏で公開研究会が開かれることの意義についてお話がありました。今回は、これまでメル・プラッツが公開研究会で実施してきた「メディアリテラシーに隣接する様々な問題との関係を考える」シリーズの締めくくりにあたります。
□第一部「"学び"の本質を考える--情報・対話・メディア」
まず、教育工学の立場から学習環境デザインを研究しておられる黒上晴夫さん(関西大学)から、「学びの本質を考える......ために」と題して報告がなされました。
〈黒上さんの報告要旨〉
学びとは、さまざまな要素が絡まった複合的なものであり、教育の目標とは学習者の自立にあるはずです。自立のためには、いろいろなものを見て判断し、じぶんの考えをまとめて書いたり発表したりする力が必要となります。つまり、学校教育制度のなかでは、知識習得だけでなく、「思考(も)重視」という姿勢へシフトしてきているということです。
学びの過程は、価値→知識→関心→意欲→思考スキル→......のように構成されています。学校教育では、そのすべてに働きかけることになります。ここでは、わたし(黒上)自身がおこなってきた三つの実践に沿ってお話します。
第一が、シンキング・ツールです。ものを考えるとき、頭のなかにあるアイディアをいったん外へ出して、そのうえで自分の考えを組み立てていきます。シンキング・ツールとは、そのために工夫が凝らされた道具のことで、世界中でさまざまなものが使われています。わたしの研究室ではそれを収集して、体系だてて使用できるように整理分類しました。「考える」ことを、「仮説をたてる」「意味づける」「見通しをたてる」「予測する」などのいくつかの下位項目に分け、それぞれに適したシンキング・ツールを紹介しています。いくつかの学校でシンキング・ツールを実際に活用してもらっています。小学校入学時から中学校までの9年間、シンキング・ツールを使いつづけたら、どんなことになるでしょうか。
第二が、「メディアを学ぼう」。これはNHK教育テレビで放映されているメディアリテラシー育成のための番組で、さまざまなメディアを制作する人たちの裏側を紹介するものです。番組で伝えられた内容をしっかり理解するためには、番組視聴と並行して自分たちでもメディア作品を制作するなどの方法で、気づきをうながすことが効果的です。そこでわたしたちは、そういった発展的学習を支援するためのワークシートを、毎回放送される内容ごとに作成し、提供してきました。ワークシートは二種類あります。ひとつは、各番組のポイントを整理し、メディアリテラシーの基礎知識を習得するためのもの。もうひとつは、番組内容を参考にしながら、実際に自分たちが企画をたててメディア作品を制作するときに利用できるものです。この実践的学習を経験したあとでは、学習者の感じるメディアとの距離が遠くなっていることが、調査によって明らかになっています。
第三は、地上デジタル放送・字幕の活用です。地上デジタル放送に付随しているデータ放送を利用して、兵庫県立舞子高校環境防災科の生徒が防災情報を発信するプロジェクトを支援してきました。生徒たちの防災学習の成果をみずからPowerPointにまとめ、それをサンテレビジョンが編集してデータ放送するのです。2007年2月5日からほぼ2カ月間放送されました。今年度は、とくに好評だった防災クイズに特化して、新たに制作したものを流します。生徒たちにしてみれば、たとえデータ放送といえども本物のマスコミに自分たちの制作した情報が流れるわけですから、緊張感とともに歓びも大きい。編集権はテレビ局側にあるとはいえ、これもパブリックアクセスの一種です。地デジによって、パブリックアクセスの機会は増えてきていると捉えるべきだとおもいます。
引きつづいて、臨床哲学の立場からコミュニケーション・デザインに取り組み、Caf?ス Philo(カフェフィロ)代表もつとめておられる本間直樹さん(大阪大学)から、「哲学カフェ──対話の場のデザイン」と題する報告がなされました。
〈本間さんの報告要旨〉
「子どものための哲学」は、コロンビア大学教授マシュー・リップマンによって1970年代に提案されたプログラムです。哲学の思想や理論を子ども向けに教えるのではなく、論理的に考えるときに誰もがつかっている技法を自覚的につかうことに焦点があてられています。知識や技術の習得ではなく、対話、すなわち問答をしながら、自分で考えることをたのしむのです。
大人になればなるほど、会話は知識をベースにした情報交換になっていきます。けれども、ある事柄について、それを自分がどう受けとめたのか他人の前で説明しようとすると、おのずと自分で考えなければならなくなる。考えるためには技法が必要ですが、しかし技法を身につければじっくり考えることができるというわけではない。哲学では問答が大切で、対話が生まれるためには問いがなければなりません。
「子どものための哲学」の小学校レベルでは、絵本や物語を一緒に読むことから始めます。テーマはなんでもいい。子どもたちがその物語のなかで面白いとおもったところをあげていきます。ふつうの読み聞かせと違って、絵本はあくまで刺激で、子どもたちがみずから探究することが目的です。問いを見つけ、探究の共同体(community of inquiry)を形成して、自分たちで探究をすすめていくのです。これを反復して積みあげていき、やがては自分たちがやってきたことを自分で理解できるようになることをめざします。
しかし、「子どもための哲学」には、わたし(本間)は不満があります。たとえば実際に寓話「かえるとさそり」をつかって子どもたちの考えを発言してもらうと、かれらはこちらの予測をはるかに越えて面白いことを言ってくれます。ところが、まわりの大人は、子どもたちがなにをたのしんでいるのか理解できない。大人はなにか意味のあることをやらなければならないというプレッシャーから逃れにくいのかもしれませんが、大人たちが子どもと一緒になって議論することの面白さをたのしめるかどうかが重要だとおもいます。だから、子ども向きに哲学を教育するというようなできあがった枠組みではなく、哲学そのものを鍛え直したい。わたしはこれを「子どもの哲学」と呼んでいます。
「子どものための哲学」が教育プログラムであるとすれば、哲学カフェは教育制度の外側から生まれてきたものです。哲学カフェにメソッドはありません。進行の仕方も自由です。必要なものは三つだけ。(1)ひとが集まり、落ち着いて話せる場所。(2)議論するテーマ。(3)進行役(アニメータ/ファシリテータ)。テーマはなんでもかまいませんが、共通の関心をよびおこすものだといい。進行役は参加者をコントロールするのではありません。うまくまとめようとか、結論が出なければ失敗といったプレッシャーは一切捨てます。参加したからといって、必ずなにか発言しなければいけないということもありません。ほかの人の話をじっくり聞くだけでもいいのです。
大阪大学CSCDで担当している授業のひとつに、「メディア技法と表現リテラシー」があります。身体技法、演劇、デザイン、音楽などのジャンルを扱うのですが、ここでも技術は教えません。学生たちが自分たちでできることをどこまで自覚して展開できるかがポイントです。たとえば、ビデオカメラの録画ボタンのオンオフだけで、1分間の作品を制作します。ごく簡単なルールの下で、用意された技術をどれだけ使いたおすか、そのなかから無限の創造性が生じることを理解してもらいたいのです。そうやって制作された学生たちの作品は、それぞれ凝ったものですが、やはりどれも既視感を拭えない。だから真似していることを自覚する必要があります。ふだん何気なく享受しているメディアや技術についてどれだけ自覚するかが大切だとおもいます。

ここで、第一部コーディネータの上田信行さん(同志社女子大学)が登場し、実際に哲学カフェのさわりを実践してみることになりました。会場から本間報告の子どもと大人の関係を考え直したという点に関連して、「現実の学校現場のなかでどう考えたらよいだろうか」という質問が投げかけられました。これを受けて本間さんから、哲学カフェでは場を設定することがきわめて重要だという見方が示され、場のデザインについてひとしきり議論がなされました。そのなかで黒上さんは、教師がどういう問いをどのタイミングでどのように学習者に提供するかが学びの方向性を大きく左右すると述べています。また上田さんは、シーモア・パパートの "You can't think about thinking without thinking about something."(人は何かについて考えることをせずに、考えることについて考えることはできない)という言葉を紹介しつつ、「自覚的」という言葉が鍵になるのではないかという見方を示しました。
□第二部「番組制作から何を"学ぶ"のか」
休憩をはさんだあと、灼熱の第二部へ。まず、鮫島京一さん(奈良女子大学附属中等教育学校)から、「「文化と社会」の射程、あるいは方法としてのメディアリテラシー」と題して、授業実践について報告がなされました。
〈鮫島さんの報告要旨〉
「文化と社会」という授業をしています。高校社会科の公民科(文化・思想領域)と美術科の融合教科(二年生の社会科選択科目)です。通年授業で、読売テレビと連携して映像ドキュメンタリーを制作しています。といっても、番組制作に特権的な位置を与えているわけではありません。番組制作は、論理的思考力や言語能力の基礎、学ぶ意欲といった意味での学力を養うためのひとつの方法だと位置づけているからです。根本にあるのは、メディアリテラシーという言葉は、生徒が抱えている問題に寄り添うかたちで教育実践をつくるとき、大きな力を発揮するのではないか、という考え方です。
従来の教科枠組みでは、学習集団を形成することがむずかしくなってきています。公民科教育のばあい制度論中心で、文化・思想領域は周縁化されています。現代社会の中心的な特徴であるメディアや表象の問題、あるいは文化的ヘゲモニーの問題をどう考えるかといったことは扱いにくい。メディアリテラシー教育の議論にたいしても、学校現場から見ると不満がありました。鈴木みどりさんたちの議論では、「クリティカルになること」が強調されるにもかかわらずクリティカルとはどういうことかという問いが見えにくく、またクリティカルとなることを阻むものへの視点が弱いと観じられました。メル・プロジェクトの実践はメディア表現に力点がおかれ、制作のたのしさやむずかしさをとおしてメディアリテラシーを形成し、その過程で考えることを身につけさせるという点において興味深いものでしたけれども、そのままでは学校現場で通用しません。年間のカリキュラムにしなければならないのです。
そこで、考えたのが「文化と社会」という授業です。書くことから撮ることへつなぐことを意識し、同時に、言葉へのこだわり、つくることへのこだわり、話しあうことへのこだわり、の三つを大切にしました。授業は、講義→作品制作→相互批評→自己評価と展開します。評価方法については、生徒が作成した自己評価表の記述を読みとる方法を採りました。重視するのは、作品の出来ではなく、生徒が学習課題といかに「たたかった」か。
2005年度のカリキュラムをご紹介しましょう。二期制になっています。一期はまず「よい作り手」「よい読み手」について学びます。次に、イメージを言葉で表現します。四人一組で言葉をモチーフに一枚のテーマを絵に表現。できた絵を見て、そこからうけるイメージを200字で書きます。次は連載小説。最初はわたし(鮫島)が200字で出だしの段落を書きます。それを班ごとに第二話、第三話と展開していくのです。それぞれ15分でつくらなければなりません。ここでは話をどう展開させていくかということを学びます。その次は小説です。今度は個人でつくります。登場人物、場面設定は共通で、各人800字で書く。それを班ごとに出版社に見立てて、コンテストをやります。夏休みの宿題として、文学論を書きます。
二期はまず映像と音楽について学びます。映画をひとつとりあげ、冒頭部の音と字幕を消して、それにあうナレーションと音楽を考えます。つづいて構図の文法として、モナリザの絵を分析したあと、働く人の写真をとってきて構図を批評。さらに「現代社会を撮る」と題して、班ごとに現代社会を写真に切りとってきます。そして、それについて小論文を書く。こうしていよいよ映像作品づくりに入ります。作品名「バラの行方、あるいは希望の兆し」。
さてこの授業に参加した当時の生徒たち、浅井暦・高橋久美子・西野由佳理・中井那緒子・真柴智代・山上茜に、どんなことを学んだのか、それぞれ生の声を話してもらいましょう。
──ということで、生徒さんたちが「ひと言でいえばどんな授業か」「なにを学んだか」の2点について、それぞれ発言してくれました。日常生活の切りとり方や、話しあいの大切さ、考える力が身についたというような趣旨のことを述べてくださいました。とくに印象的だったのは「議論するときの言葉は、おしゃべりの言葉とは違うことに気づきました」という発言でした。
最後は、崔銀姫さん(佛教大学、メル・プラッツ運営メンバー)の「実践する「文化の環」──ドキュメンタリーチャンネルを用いたメディア・ワークショップを中心に」と題する報告です。
〈崔さんの報告要旨〉
文化は、経験としての文化と表象としての文化の二重構造をなしています。ところがマスメディア社会のなかではこの二つは乖離してしまっています。メディア論とは本のなかにあるものであり、ドキュメンタリーとはテレビのなかにあるもので、自分自身との距離感が見出せない。それがいまの学生の感覚であるようにおもいます。そこに欠けているのは、表象の実践です。そこで、授業の一環として、「ドキュメンタリーチャンネル」というウェブサイトを用いたメディア・ワークショップを実践しました。表象を実践することをとおして、マスメディアのなかで捨てられているものはなにかを知り、マスメディアの表象についてあらためて考えてみようという試みです。
ワークショップには、19歳から47歳まで、日本各地から男女65名が集まりました。最初に観てもらったのは、「1/4」という作品です。この作品は「ドキュメンタリーチャンネル」に登録されている作品で、わたし(崔)の学生が制作したものです。在日の悩みと葛藤という抽象的なテーマを扱ったこの作品を観てもらったの理由は、今回のワークショップのテーマが「アイデンティティ」だったからです。
ワークショップでの作品の制作手順は、次のようなものです。まず、キーワードを出し、発表します。キーワードを絞って作品の構成を検討します。それから、撮影、編集をおこない、プレゼンテーションします。そのうえで作品を「ドキュメンターチャンネル」に投稿し、ウェブ上で議論するのです。ここで、このワークショップで制作された作品のひとつ、「Identity 独身」を観ていただきます。
テーマは「アイデンティティ」だったのですが、この作品は「いまの日本の社会のなかで結婚するのは大変ですよ」というような内容になりました。学生たちのコメントによれば、最初に「1/4」を観たものの、アイデンティティといってもなんだかよくわからず、どういうものをつくればいいのか最後までよくわからなかった、ということです。けれども、それでいいのではないかとおもうのです。いま自分が気になっていることを表現しながら、実践のなかで考えることこそ、メディア実践ではないでしょうか。そのためには、マスメディアのなかの均質な表象空間だけではなく、その外側にも多様な表象空間をつくっていくことが重要であり、課題なのだとおもいます。
ここで第二部コーディネータの水島久光さん(東海大学、メル・プラッツ2007年度オーガナイザー)が登場し、第一部の登壇者も交えてディスカッションとなりました。いきなり映像作品をつくろうとしてもうまくいかないのは、言葉をつかって物を考える力を身につけることが基礎になっているからではないか。学生の悩みを出発点に表現していくことは、作品の巧拙はともかく、考える力を身につけるということになるだろうし、それが今回のどの発表ともつながっているのではないか。メディアリテラシーの中核にあるのは、自分自身のコントロール権を握るということであり、自分自身について考えることは、メディアリテラシーにつながっていくのではないか。教室もひとつの社会にすぎないのだから、教室ですべてを教えようとせず、それ以外の社会も含めて考えていくべきではないか。そんな意見がかわされました。
□おわりに
最後に、総合司会の村田麻里子さん(京都精華大学、メル・プラッツ運営メンバー)が、「「メディアリテラシー」というワッペンのない活動でも互いに重なりあうものが多いこと、そしてメディアと学びの関係、悩みや問いなどについて遡及的に考え、議論していくことが重要」と締めくくり、寒い京都での熱く濃い公開研究会の幕を閉じたのでした。(報告者:長谷川一/メル・プラッツ運営メンバー)
まず、教育工学の立場から学習環境デザインを研究しておられる黒上晴夫さん(関西大学)から、「学びの本質を考える......ために」と題して報告がなされました。
〈黒上さんの報告要旨〉
学びとは、さまざまな要素が絡まった複合的なものであり、教育の目標とは学習者の自立にあるはずです。自立のためには、いろいろなものを見て判断し、じぶんの考えをまとめて書いたり発表したりする力が必要となります。つまり、学校教育制度のなかでは、知識習得だけでなく、「思考(も)重視」という姿勢へシフトしてきているということです。学びの過程は、価値→知識→関心→意欲→思考スキル→......のように構成されています。学校教育では、そのすべてに働きかけることになります。ここでは、わたし(黒上)自身がおこなってきた三つの実践に沿ってお話します。
第一が、シンキング・ツールです。ものを考えるとき、頭のなかにあるアイディアをいったん外へ出して、そのうえで自分の考えを組み立てていきます。シンキング・ツールとは、そのために工夫が凝らされた道具のことで、世界中でさまざまなものが使われています。わたしの研究室ではそれを収集して、体系だてて使用できるように整理分類しました。「考える」ことを、「仮説をたてる」「意味づける」「見通しをたてる」「予測する」などのいくつかの下位項目に分け、それぞれに適したシンキング・ツールを紹介しています。いくつかの学校でシンキング・ツールを実際に活用してもらっています。小学校入学時から中学校までの9年間、シンキング・ツールを使いつづけたら、どんなことになるでしょうか。
第二が、「メディアを学ぼう」。これはNHK教育テレビで放映されているメディアリテラシー育成のための番組で、さまざまなメディアを制作する人たちの裏側を紹介するものです。番組で伝えられた内容をしっかり理解するためには、番組視聴と並行して自分たちでもメディア作品を制作するなどの方法で、気づきをうながすことが効果的です。そこでわたしたちは、そういった発展的学習を支援するためのワークシートを、毎回放送される内容ごとに作成し、提供してきました。ワークシートは二種類あります。ひとつは、各番組のポイントを整理し、メディアリテラシーの基礎知識を習得するためのもの。もうひとつは、番組内容を参考にしながら、実際に自分たちが企画をたててメディア作品を制作するときに利用できるものです。この実践的学習を経験したあとでは、学習者の感じるメディアとの距離が遠くなっていることが、調査によって明らかになっています。
第三は、地上デジタル放送・字幕の活用です。地上デジタル放送に付随しているデータ放送を利用して、兵庫県立舞子高校環境防災科の生徒が防災情報を発信するプロジェクトを支援してきました。生徒たちの防災学習の成果をみずからPowerPointにまとめ、それをサンテレビジョンが編集してデータ放送するのです。2007年2月5日からほぼ2カ月間放送されました。今年度は、とくに好評だった防災クイズに特化して、新たに制作したものを流します。生徒たちにしてみれば、たとえデータ放送といえども本物のマスコミに自分たちの制作した情報が流れるわけですから、緊張感とともに歓びも大きい。編集権はテレビ局側にあるとはいえ、これもパブリックアクセスの一種です。地デジによって、パブリックアクセスの機会は増えてきていると捉えるべきだとおもいます。
引きつづいて、臨床哲学の立場からコミュニケーション・デザインに取り組み、Caf?ス Philo(カフェフィロ)代表もつとめておられる本間直樹さん(大阪大学)から、「哲学カフェ──対話の場のデザイン」と題する報告がなされました。
〈本間さんの報告要旨〉
「子どものための哲学」は、コロンビア大学教授マシュー・リップマンによって1970年代に提案されたプログラムです。哲学の思想や理論を子ども向けに教えるのではなく、論理的に考えるときに誰もがつかっている技法を自覚的につかうことに焦点があてられています。知識や技術の習得ではなく、対話、すなわち問答をしながら、自分で考えることをたのしむのです。大人になればなるほど、会話は知識をベースにした情報交換になっていきます。けれども、ある事柄について、それを自分がどう受けとめたのか他人の前で説明しようとすると、おのずと自分で考えなければならなくなる。考えるためには技法が必要ですが、しかし技法を身につければじっくり考えることができるというわけではない。哲学では問答が大切で、対話が生まれるためには問いがなければなりません。
「子どものための哲学」の小学校レベルでは、絵本や物語を一緒に読むことから始めます。テーマはなんでもいい。子どもたちがその物語のなかで面白いとおもったところをあげていきます。ふつうの読み聞かせと違って、絵本はあくまで刺激で、子どもたちがみずから探究することが目的です。問いを見つけ、探究の共同体(community of inquiry)を形成して、自分たちで探究をすすめていくのです。これを反復して積みあげていき、やがては自分たちがやってきたことを自分で理解できるようになることをめざします。
しかし、「子どもための哲学」には、わたし(本間)は不満があります。たとえば実際に寓話「かえるとさそり」をつかって子どもたちの考えを発言してもらうと、かれらはこちらの予測をはるかに越えて面白いことを言ってくれます。ところが、まわりの大人は、子どもたちがなにをたのしんでいるのか理解できない。大人はなにか意味のあることをやらなければならないというプレッシャーから逃れにくいのかもしれませんが、大人たちが子どもと一緒になって議論することの面白さをたのしめるかどうかが重要だとおもいます。だから、子ども向きに哲学を教育するというようなできあがった枠組みではなく、哲学そのものを鍛え直したい。わたしはこれを「子どもの哲学」と呼んでいます。
「子どものための哲学」が教育プログラムであるとすれば、哲学カフェは教育制度の外側から生まれてきたものです。哲学カフェにメソッドはありません。進行の仕方も自由です。必要なものは三つだけ。(1)ひとが集まり、落ち着いて話せる場所。(2)議論するテーマ。(3)進行役(アニメータ/ファシリテータ)。テーマはなんでもかまいませんが、共通の関心をよびおこすものだといい。進行役は参加者をコントロールするのではありません。うまくまとめようとか、結論が出なければ失敗といったプレッシャーは一切捨てます。参加したからといって、必ずなにか発言しなければいけないということもありません。ほかの人の話をじっくり聞くだけでもいいのです。
大阪大学CSCDで担当している授業のひとつに、「メディア技法と表現リテラシー」があります。身体技法、演劇、デザイン、音楽などのジャンルを扱うのですが、ここでも技術は教えません。学生たちが自分たちでできることをどこまで自覚して展開できるかがポイントです。たとえば、ビデオカメラの録画ボタンのオンオフだけで、1分間の作品を制作します。ごく簡単なルールの下で、用意された技術をどれだけ使いたおすか、そのなかから無限の創造性が生じることを理解してもらいたいのです。そうやって制作された学生たちの作品は、それぞれ凝ったものですが、やはりどれも既視感を拭えない。だから真似していることを自覚する必要があります。ふだん何気なく享受しているメディアや技術についてどれだけ自覚するかが大切だとおもいます。

ここで、第一部コーディネータの上田信行さん(同志社女子大学)が登場し、実際に哲学カフェのさわりを実践してみることになりました。会場から本間報告の子どもと大人の関係を考え直したという点に関連して、「現実の学校現場のなかでどう考えたらよいだろうか」という質問が投げかけられました。これを受けて本間さんから、哲学カフェでは場を設定することがきわめて重要だという見方が示され、場のデザインについてひとしきり議論がなされました。そのなかで黒上さんは、教師がどういう問いをどのタイミングでどのように学習者に提供するかが学びの方向性を大きく左右すると述べています。また上田さんは、シーモア・パパートの "You can't think about thinking without thinking about something."(人は何かについて考えることをせずに、考えることについて考えることはできない)という言葉を紹介しつつ、「自覚的」という言葉が鍵になるのではないかという見方を示しました。□第二部「番組制作から何を"学ぶ"のか」
休憩をはさんだあと、灼熱の第二部へ。まず、鮫島京一さん(奈良女子大学附属中等教育学校)から、「「文化と社会」の射程、あるいは方法としてのメディアリテラシー」と題して、授業実践について報告がなされました。
〈鮫島さんの報告要旨〉
「文化と社会」という授業をしています。高校社会科の公民科(文化・思想領域)と美術科の融合教科(二年生の社会科選択科目)です。通年授業で、読売テレビと連携して映像ドキュメンタリーを制作しています。といっても、番組制作に特権的な位置を与えているわけではありません。番組制作は、論理的思考力や言語能力の基礎、学ぶ意欲といった意味での学力を養うためのひとつの方法だと位置づけているからです。根本にあるのは、メディアリテラシーという言葉は、生徒が抱えている問題に寄り添うかたちで教育実践をつくるとき、大きな力を発揮するのではないか、という考え方です。従来の教科枠組みでは、学習集団を形成することがむずかしくなってきています。公民科教育のばあい制度論中心で、文化・思想領域は周縁化されています。現代社会の中心的な特徴であるメディアや表象の問題、あるいは文化的ヘゲモニーの問題をどう考えるかといったことは扱いにくい。メディアリテラシー教育の議論にたいしても、学校現場から見ると不満がありました。鈴木みどりさんたちの議論では、「クリティカルになること」が強調されるにもかかわらずクリティカルとはどういうことかという問いが見えにくく、またクリティカルとなることを阻むものへの視点が弱いと観じられました。メル・プロジェクトの実践はメディア表現に力点がおかれ、制作のたのしさやむずかしさをとおしてメディアリテラシーを形成し、その過程で考えることを身につけさせるという点において興味深いものでしたけれども、そのままでは学校現場で通用しません。年間のカリキュラムにしなければならないのです。
そこで、考えたのが「文化と社会」という授業です。書くことから撮ることへつなぐことを意識し、同時に、言葉へのこだわり、つくることへのこだわり、話しあうことへのこだわり、の三つを大切にしました。授業は、講義→作品制作→相互批評→自己評価と展開します。評価方法については、生徒が作成した自己評価表の記述を読みとる方法を採りました。重視するのは、作品の出来ではなく、生徒が学習課題といかに「たたかった」か。
2005年度のカリキュラムをご紹介しましょう。二期制になっています。一期はまず「よい作り手」「よい読み手」について学びます。次に、イメージを言葉で表現します。四人一組で言葉をモチーフに一枚のテーマを絵に表現。できた絵を見て、そこからうけるイメージを200字で書きます。次は連載小説。最初はわたし(鮫島)が200字で出だしの段落を書きます。それを班ごとに第二話、第三話と展開していくのです。それぞれ15分でつくらなければなりません。ここでは話をどう展開させていくかということを学びます。その次は小説です。今度は個人でつくります。登場人物、場面設定は共通で、各人800字で書く。それを班ごとに出版社に見立てて、コンテストをやります。夏休みの宿題として、文学論を書きます。
二期はまず映像と音楽について学びます。映画をひとつとりあげ、冒頭部の音と字幕を消して、それにあうナレーションと音楽を考えます。つづいて構図の文法として、モナリザの絵を分析したあと、働く人の写真をとってきて構図を批評。さらに「現代社会を撮る」と題して、班ごとに現代社会を写真に切りとってきます。そして、それについて小論文を書く。こうしていよいよ映像作品づくりに入ります。作品名「バラの行方、あるいは希望の兆し」。
さてこの授業に参加した当時の生徒たち、浅井暦・高橋久美子・西野由佳理・中井那緒子・真柴智代・山上茜に、どんなことを学んだのか、それぞれ生の声を話してもらいましょう。──ということで、生徒さんたちが「ひと言でいえばどんな授業か」「なにを学んだか」の2点について、それぞれ発言してくれました。日常生活の切りとり方や、話しあいの大切さ、考える力が身についたというような趣旨のことを述べてくださいました。とくに印象的だったのは「議論するときの言葉は、おしゃべりの言葉とは違うことに気づきました」という発言でした。
最後は、崔銀姫さん(佛教大学、メル・プラッツ運営メンバー)の「実践する「文化の環」──ドキュメンタリーチャンネルを用いたメディア・ワークショップを中心に」と題する報告です。
〈崔さんの報告要旨〉
文化は、経験としての文化と表象としての文化の二重構造をなしています。ところがマスメディア社会のなかではこの二つは乖離してしまっています。メディア論とは本のなかにあるものであり、ドキュメンタリーとはテレビのなかにあるもので、自分自身との距離感が見出せない。それがいまの学生の感覚であるようにおもいます。そこに欠けているのは、表象の実践です。そこで、授業の一環として、「ドキュメンタリーチャンネル」というウェブサイトを用いたメディア・ワークショップを実践しました。表象を実践することをとおして、マスメディアのなかで捨てられているものはなにかを知り、マスメディアの表象についてあらためて考えてみようという試みです。ワークショップには、19歳から47歳まで、日本各地から男女65名が集まりました。最初に観てもらったのは、「1/4」という作品です。この作品は「ドキュメンタリーチャンネル」に登録されている作品で、わたし(崔)の学生が制作したものです。在日の悩みと葛藤という抽象的なテーマを扱ったこの作品を観てもらったの理由は、今回のワークショップのテーマが「アイデンティティ」だったからです。
ワークショップでの作品の制作手順は、次のようなものです。まず、キーワードを出し、発表します。キーワードを絞って作品の構成を検討します。それから、撮影、編集をおこない、プレゼンテーションします。そのうえで作品を「ドキュメンターチャンネル」に投稿し、ウェブ上で議論するのです。ここで、このワークショップで制作された作品のひとつ、「Identity 独身」を観ていただきます。
テーマは「アイデンティティ」だったのですが、この作品は「いまの日本の社会のなかで結婚するのは大変ですよ」というような内容になりました。学生たちのコメントによれば、最初に「1/4」を観たものの、アイデンティティといってもなんだかよくわからず、どういうものをつくればいいのか最後までよくわからなかった、ということです。けれども、それでいいのではないかとおもうのです。いま自分が気になっていることを表現しながら、実践のなかで考えることこそ、メディア実践ではないでしょうか。そのためには、マスメディアのなかの均質な表象空間だけではなく、その外側にも多様な表象空間をつくっていくことが重要であり、課題なのだとおもいます。
ここで第二部コーディネータの水島久光さん(東海大学、メル・プラッツ2007年度オーガナイザー)が登場し、第一部の登壇者も交えてディスカッションとなりました。いきなり映像作品をつくろうとしてもうまくいかないのは、言葉をつかって物を考える力を身につけることが基礎になっているからではないか。学生の悩みを出発点に表現していくことは、作品の巧拙はともかく、考える力を身につけるということになるだろうし、それが今回のどの発表ともつながっているのではないか。メディアリテラシーの中核にあるのは、自分自身のコントロール権を握るということであり、自分自身について考えることは、メディアリテラシーにつながっていくのではないか。教室もひとつの社会にすぎないのだから、教室ですべてを教えようとせず、それ以外の社会も含めて考えていくべきではないか。そんな意見がかわされました。□おわりに
最後に、総合司会の村田麻里子さん(京都精華大学、メル・プラッツ運営メンバー)が、「「メディアリテラシー」というワッペンのない活動でも互いに重なりあうものが多いこと、そしてメディアと学びの関係、悩みや問いなどについて遡及的に考え、議論していくことが重要」と締めくくり、寒い京都での熱く濃い公開研究会の幕を閉じたのでした。(報告者:長谷川一/メル・プラッツ運営メンバー)

