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「ようこそ『MELL platz』へ」]

2007.7.21

第1回公開研究会報告
「ようこそ『MELL platz』へ」

「ようこそ『MELL platz』へ」
〜「メディア・リテラシーの現在の位置: 今、メルプロジェクト『東京宣言』を再び考える」

5年間にわたるメルプロジェクトの活動が幕を閉じてから1年、その理念と成果を継承しつつ、メディア表現とリテラシーについてともに語り合うためのコミュニティ・スペース、メル・プラッツが新たにスタートしました。その活動の第一歩となる最初の公開研究会には100名を超える参加者がつめかけ、メディア・リテラシーとは何か、それを今あらためてどう捉えるかというラディカルなテーマをめぐって、新たな情報交流の場の幕開けにふさわしい濃密な議論がくりひろげられました。

第1回公開研究会報告 ■日 時:2007年7月21日(土)14:00〜18:00
■場 所:東京大学本郷キャンパス工学部新二号館9階93b
     (情報学環プレゼンテーションルーム)
■参加者:約100名
■テーマ:
(1)ようこそ「MELL platz」へ
    水島久光(東海大学・MELL platz 2007年度オーガナイザー)
(2)「メディアリテラシーの現在の位置 〜今、メルプロジェクト「東京宣言」を再び考える」
   報告者:
    水越伸(東京大学)
   討論者:
    石田佐恵子(大阪市立大学)
    藤田真文(法政大学)
    本橋春紀(BPO/放送倫理・番組向上機構)
     ※50音順,敬称略

■概 要:

最初にメル・プラッツの初代オーガナイザー、東海大学の水島久光さんからメル・プラッツとは何かについての宣言と説明がなされた。

続いて報告者として登壇したのは東京大学の水越伸さん。5年間にわたるメルプロジェクトの活動をふまえつつ、その理念と成果にもとづいて打ち出された「東京宣言」の位置づけを再検討することを通じて水越さんは、メディア・リテラシーをめぐる現在の状況を次のように総括する。

メルプロジェクトはメディア・リテラシーの概念に広域的理解をもたらすとともに、その活動の実践的方法を開発するうえでさまざまな成果を上げてきた。今後はそれをより太い思想的・理論的系譜に接合しつつ、概念の深化的理解をはかるとともに、活動を基礎づける学問的方法論を確立していくことが求められる。一方でしかしメディア・リテラシーをめぐる危ういことがら、その個別化・細分化の傾向や保護主義化・保守主義化の動向、さらにはメディア倫理との混同や教育制度への囲い込みなどの危険性にも目を向けていかなければならない。

水越さんの報告を受け、次に3名の討論者が順次登壇した。最初の討論者は大阪市立大学の石田佐恵子さん。石田さんは映像社会学の知見にもとづき、メディア・リテラシーの概念にひそむ規範的志向の問題点を次のように指摘する。

そもそもリテラシーとは共同体のなかで生きていくために習得される作法である。そのためそれは共同体の内部と外部を分節し、外部の異質な他者を排除するためのしくみとして機能するという側面を本質的にあわせもつ。しかもそれがプログラムとして確立されるばかりか「決まり言葉」として固定されるにいたると、文化的規範の向こう側に思考を及ぼすこと自体困難になってしまう。そのときメディア・リテラシーはともすれば思考停止のメカニズムにさえなりかねない。そうした事態を避けるためには、多声・多言語に根ざしたメディア・リテラシー論の可能性を探ることが何よりも求められるだろう。

2番目の討論者として登壇したのは法政大学の藤田真文さん。藤田さんはテレビのテクスト分析による知見をもとに石田さんと同様、メディア・リテラシーの規範的志向にかかわる問題点を次のように指摘する。

070721_2.jpgリテラシーの概念に付随する「能力観」は、それが何かの役に立つ望ましいものでなければならないとして、読む行為を目的論的・倫理観的に方向づけてしまう。その結果、読みの自律性と多声性が損なわれてしまう。また情報を批判的に読み解くことを旨とするメディア・リテラシー活動は、メディアと現実のズレを暴くことに執心するあまり、情報を構成的なものとして見る一方で現実を実体的なものとして捉えてしまう。その結果、現実自体が構成された言説であることが忘れ去られてしまう。そうした事態を避けるためには、むしろメディア・テクストの解釈・批評に内在する実践性にこそ目を向けることが求められるだろう。

3番目の討論者として登壇したのはBPO/放送倫理・番組向上機構の本橋春紀さん。石田さん・藤田さんが主に受け手にとってのメディア・リテラシーの意味に注目し、その規範的志向を批判的に捉えていたのに対して本橋さんはメルプロジェクトの活動から「対話ワークショップ」の例を引きつつ、逆に送り手にとってのメディア・リテラシーの意義に着目、それがむしろ文化的規範を揺り動かしたり突き崩したりする力をもつことを次のように主張する。

070721_3.jpgテレビの送り手は現在、放送という巨大システムに組み込まれて細分化・専門化された表現活動に従事している。そうした枠組みを相対化し、「伝える」という仕事の原点からそれぞれの表現活動を捉えなおすための契機をメディア・リテラシー活動は、「遊び」の根源性と越境性のなかに見出そうとする。テレビをめぐる閉塞状況を解きほぐしていくためにはこうした活動を通じて、ともすれば否定的規範としてのみ捉えられがちな「メディア倫理」を創造的規範として編みなおしていくことが求められるだろう。

その後、3名の討論者の議論を受けて水越さんが再び登壇、メディア・リテラシーの概念に内在する問題点と可能性をともに自覚的に引き受けつつ、それでもなおかつこの言葉を使っていくことの意義と覚悟について次のように言明した。

メディア・リテラシーの概念にはたしかに石田さんや藤田さんが指摘するように、その規範的志向にともなうもろもろの問題点が含み込まれている。しかし一方でそこには本橋さんが主張するように、文化的規範を揺り動かしたり突き崩したりすることの可能性もまた組み込まれている。だとすればこの言葉の両義性をふまえつつ、泥にまみれてでも何かを得ることの可能性に賭けてみることがむしろ生産的な方法なのではないだろうか。オルタナティブな映像や自律的・多声的な読みなど、規範的志向の対極に位置するような営みを胚胎しうるものとしてこの概念自体を鍛えなおしていくことが、メディア・リテラシーの現在の位置に求められている課題だろう。

070721_4.jpg最後に会場の参加者からさまざまな意見や質問が寄せられ、議論の余韻を残しつつ公開研究会は幕を閉じた。メディア・リテラシーとは何か、それを今あらためてどう捉えるかというラディカルなテーマが真正面から取り上げられた今回の研究会はメル・プラッツの幕開けにふさわしく、メディア・リテラシーをめぐる本質的かつ生産的な議論がくりひろげられる場となったのではないだろうか。(報告者:伊藤昌亮/メル・プラッツ運営メンバー)

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