
公開研究会の報告
- 第28回公開研究会報告
「ポスト3・11の地域メディアを考える~ラジオと共感のコミュニティづくり~」 - 第27回公開研究会報告
「創発のデザイン/ショーケース・ワークショップ」 - 第26回公開研究会報告
「東アジアにおけるメディアリテラシーの展開」 - 第25回公開研究会報告
「大震災後、私たちの考えていること、やろうとしていること」 - 第24回公開研究会報告
「物語が紡ぐ共同体:メディア・コンテ・ワークショップの試み」 - 第23回公開研究会報告
「フォーラムとしてのミュージアム」 - 第22回公開研究会報告
「デジタル教材と学びのコミュニティ」 - 第21回公開研究会報告「スポーツとメディア・リテラシー スポーツという経験の共有をめぐって」
- 第19回公開研究会報告「コミュニティをつなぐテクノロジー」
- 第18回公開研究会報告
「アジアの大学、リテラシーの環:d'CATCH 2010 シンポジウム」 - 第17回公開研究会報告
「地域文化とメディア実践~瀬戸内で育まれる協働コミュニティ~」 - 第16回公開研究会報告
「デジタルメディアと遊び:放送、そしてミュージアム」 - 第15回公開研究会報告
メディア・エクスプリモ シンポジウム2009: 「情報があふれかえる社会」から「表現が編みあがる社会」へ - 第14回公開研究会報告
「協働的メディア・リテラシーの可能性と課題:民放連メディアリテラシープロジェクト・セミナー2009」 - 第13回公開研究会報告
ところ変われば品変わる!:ケータイの比較文化論
Different Places, different customs !:Comparative Cultural Studies on Mobile Media - 第12回公開研究会報告
「地域を育む:地域のメディアと大学の役割」 - 第11回公開研究会報告
「メディア・クライシスとメディアリテラシー −マクロとミクロとワークショップ−」 - 第10回公開研究会報告
「学校では教えてくれないメディア表現とリテラシー」 - 第9回公開研究会報告
「ネット社会とメディアリテラシー」 - 第8回公開研究会報告
「子どもの可能性を拓くメディア・リテラシー --社会教育の場づくりから考える--」 - 第7回公開研究会報告
「メディア・エクスプリモの挑戦:学環えんがわワークショップから考える」 - 第6回公開研究会報告
「あらためてメディア・リテラシーを問う」 - 第5回公開研究会報告
「"学び"とメディアの間を結ぶもの」 - 第4回公開研究会報告
「ミュージアムにおけるコミュニケーション・デザイン 〜放送とメディアリテラシー〜」 - 第3回公開研究会報告
「ジャーナリズムとメディアリテラシーの対話」 - 第2回公開研究会報告
- 第1回公開研究会報告
「ようこそ『MELL platz』へ」
メル・エキスポの報告
- MELL EXPO 2010
(2010年3月6日AMと7日AMのレポート) - MELL EXPO 2010
(EXPO全体のレポート) - MELL EXPO 2010
(2010年3月6日PMのレポート) - MELL EXPO 2010
(2010年3月5日のレポート) - MELL EXPO 2009
- MELL EXPO 2009 第1日目(2009年3月20日)
- MELL EXPO 2009 第2日目(2009年3月21日)
- MELL EXPO 2008
- MELL EXPO 2008【プレゼンテーション、パネルディスカッション、総括ミーティング】
- MELL EXPO 2008【トークセッション】
- MELL EXPO 2008【パビリオン】
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(2010年3月5日のレポート)]
2010.3. 5
MELL EXPO 2010
(2010年3月5日のレポート)
春を予感させるような暖かな日となった3月5日、メルエキスポ2010が開幕しました。平日の夕方にもかかわらず、大勢のギャラリーが詰めかけました。オープニング・セッションは「21世紀メディア論:日本型メディアの乗り超え方」と称し、シネカノン代表の李鳳宇さん、インフォバーンCEOの小林弘人さん、そしてメルプラッツメンバーの水越伸さんがパネリストとして登壇しました。企画にあたっては、日本型ともいえる今のメディア状況――すなわち日刊紙や民放キー局の経営は危機を迎え、一方で、ネットやケータイは有害情報源と批判されたり、産業的にはガラパゴス化していると揶揄されている――をいかにして乗り越えていくかについて考えたいというメルプラッツの眼目がありました。
【李さんのお話】
民事再生中の渦中にこんなところにきてよいのかとも思うが、久々に世の中に出てきた気分。メディアの一環である映画について自分の経験から話したい。
映画は現在大きな変化を迎えつつある。映画が出て、DVDでの二次利用、テレビの放送、そして出版へと広がっていくのが「商品道」だが、映画はまさにその入り口。ところが、日本ではその入り口に現在大きな偏りがみられる。たとえば昨年日本で一番売れた映画はテレビ局が出資した『ルーキーズ』だが、一人勝ちしている。(テレビ)映画の制作、編成、営業が一体となった成功で、放映時間は合計100時間以上になる。電波は公共のものなのに、総務省がこれを平気で許可する状況に少し危機感を覚える。こういうテレビ局のスタイルに、通常のやり方では太刀打ちできるわけはない。
たとえば『パッチギ』はテレビ朝日で5000万円で広告を打った。ヒロインの「朝鮮人になれる?」という台詞を流したかったが、自分がスポンサーであるにもかかわらず、許可が下りなかった。
テレビ局がつくる映画とはどんな映画かといえば、企画書まわしてみんなが反対しないもの。したがって、監督を誰にするかはキャスティングや主題歌を決めたあとの、最後の段階。クリエイティブな側面がどんどんなくなり、当然ながら新しい俳優は発掘されない。その意味では、映画産業はあるけど映画文化はないのではないだろうか(日本で大ヒットした映画は、海外では誰も知らない)。
ところで、映画は新聞というメディアが現在置かれている状況とよく似ている。新聞は、テレビに比して広告収入が低く、販売所を通じて売り、部数を伸ばさなくてはいけない。映画も中間業者の多さ、マージンの多さなどは新聞の仕組みによく似ており、縄張り意識がある映画館を通じて、ある特定の地域・客の維持をしている。さらに、インターネットの影響が大きいという点でも新聞と似ている。もしネットでみても映画が成立すると、映画業界の衰退はますます激しくなる。その意味では、映画はネットでいかに課金するかを考えて行かなくてはいけないだろう。
現在の映画の置かれている状況に関して、今自分が言いたいことを述べた。
【小林さんのお話】
私はもともと書籍の編集者(wiredなどを創刊)で、最近はウェブメディアを立ち上げている。現在は「誰でもメディア時代」。ネットという水平線にこぎ出してしまったら、どのプレイヤーも全く同じ線上に並ぶ。すると、たとえば豆腐屋AとBとで差異化を図るには、情報量の差なのだが、このことに気がついてないのはオールドメディアの人たち。自分たちの敵が、自分たちと同じ構造をもつとは限らない。
私はこのようなミドルメディア(小資本、個人、アグリゲーターを含む)の話をしたい。検索エンジンはメディアを資本力や過去の名声で差別しない。さらに、無人系ウェブメディアなど、人間がやっていないアグリゲーターもある。編者のいないCGM系メディアでは、メディア側でいちいちコンテンツを組成せず、ユーザーがしたり、自動的にコンピュータが集めてくる場合もある。
こういうことを本で書くと、先進的すぎるなどといわれるが、そんなことはなく、既にもうはじまっている(たとえば、パンドラというインターネットラジオ局では、自分のよく聴く曲を分析し「あなたこういうのが好きでしょう」と推薦してくる)。
さらに、メディアの空間拡張によって期待される役割にも変化が起きている。従来のメディアでは、コミュニティは外にできる。しかし、ネット上のメディアはコミュニティを抱え込むことができる。コミュニティは完全にメディア内に内在する。その意味で言えば、メディアの資本とは、形状ではなく、コミュニティである。そして、コンテンツはコピーできるが、コミュニティはコピーできない。価値はそのメディアに集うコミュニティにあり、メディア・ビジネス専業者は、それを換金化する。あるいは換金化しないで、共益化させることもできる。それが「オープンソース出版」である。
そこで、最後にオープン出版宣言(バージョン1.2)をして終わりたい。
1)出版は出版社だけに行うものではない。出版とはパブリッシング
2)出版は本を印刷し、書店に並べることのみを指さない
3)新しい出版流通のプロトコル(手順)は多様である
4)新しい出版の換金化手段は多様である。オールドメディアは単純な課金制度しかない
5)新しい情報には、アクセスできる情報とそれ以外がある
6)新しい出版には、課金型か無料かの2種類ある。両方兼ね備える場合もある
7)新しい出版人は公益も考え、責務と良心をオールドメディアから継承すべき
【水越さんのお話】
今回は、ここ20年間メディアの前線にいて、活躍しているお二人を呼んだ。しかもかたや映画で、かたやウェブ。僕の専門はメディア論だが、96年に放送大学のテキスト『メディア論』ではメディア論として5点のポイントを挙げた。メディアに関わっている人は、現在それをみたら当たり前のことだというかもしれないが、その割には業界で小さな縄張り争いをしているだけのようにみえる。もっとメディアの在り方に主体的に関わっていく責任があり、コミュニケーションの「媒(なかだち)」についてきちんと考える義務がある。歴史を歴史だけで語る研究者や、業界の話だけをする業界人ではだめだ。
あれから10年経って日本を見渡すと、覚醒した個人が各地で沢山生まれており、そのネットワークもかなりできた。広場やコミュニティも出来た。
では、主流マスメディアはどうか。現体制の構造体はトランジット(遷移)しうるのか。それとも新しいメディアが取ってかわるのか。どのような新しいメディア環境がありうるのか。
ひとつには日本的なメディア環境の困難というのがあるのではないだろうか。たとえば新聞を例に取ると、海外では20~30万部で大きなメディアを意味するが、日本ではそれは地方規模で、大きいものは1000万部にも。一方で、1億2000万人という日本の中で、閉じている日本のウェブ社会がある。これだけ「肥大化」ばかりしたものを小さくするのは難しい。
そこで、21世紀メディア論のポイントはなんであろうか。
・日常生活実践をこまやかにみつめ、対象化する。
・技術中心主義にならず、技術と関わり続ける。
・グローカルに(グローバルにではなく)拡大する格差に絶えず目をこらす。
・分析的・批判的でありつつ、実践的、能動的でいる。
仮にテレビ局が目先だけ儲けても、それはめぐりめぐって日本のためにならない。日本の中に閉じこもっているということをそもそもやめなくてはならない。メディアの歴史をみつめ、その未来をデザインしていこう。
*****
このあと、水越さんおよびフロアから、小林さんと李さんに対して質疑応答を行いました。
マスメディアは果たして今後トランジットしうるのか、という質問に対して、小林さんは、メインフレームはパソコンにはなりえないと喩えて、トランジットは無理とバッサリ。そしてリストラされてきたマスメディア人が、ミドルメディアに流れてくると示唆しました。一方李さんは、変わりうるし、変わらなくてはいけないとして、法整備の必要性や、ネットやテレビには置き換えられない映画体験の重要性などを指摘しました。
一方で、いかにしたら「誰でもメディア」をパブリックな形で育てうるかという質問に対し、「公共性」や「育成・教育」の必要性を両者共に指摘しました。小林さんは、今の新聞等のメディアは果たしてパブリックなのか、公共性とか共益性が欠如していないかと述べ、さらに、自分はメディアをつくって・たたかれて・苦労して・禿げて・ようやく「メディア野郎」になれたと、公共性を意識する人たちを育成する必要性を語りました。李さんは、映画監督や俳優を育てる機関の少なさを指摘し、映画は人が作っているので、人をいかに育てていくかという議論をしないでメディアのことばかり考えていても進まないと危機意識を語りました。
今回のエキスポを貫くテーマとも言える、メディアとコミュニティというキーワードが、結果としてこの大胆なセッションから浮かび上がったといえます。同時に、セッションを通じて、異なるメディアの最前線にいる二人の距離――すなわち映画という「オールドメディア」(by李さん)と、それを看破する小林さんの言語や発想の距離――がハイライトされたように感じました(本人たちも冗談めいてそのように指摘)。つまり、このセッション自体が、現在のメディア状況の一端を移しだすという、興味深い現象がみられたのです。また、3人のメディア人による情熱と「アジテーション」から、21世紀メディア論の課題と同時に小さな希望の光も見出せるような幕開けとなりました。(報告者:村田麻里子/メル・プラッツ運営メンバー)

